2023年4月3日

日食なつこの『水流のロック』を1年ぶりくらいに聴いている。そういえば、この曲を着信音にしてる人がいたな、ということを思い出した。ネットで知り合った人で、名前は聞いたけど顔も知らないし、愛知に住んでいたということくらいしか思い出せない。名前や顔といったその人の大きな要素となる情報は仮に私がその人に対して好意を抱いたとしても(その人には抱いていなかったのだが)、特に聞きたいともならないのは不思議である。好きな本とか曲は気になるけど。その人とは話していて楽しかったことが多かった気がするし、実際よく笑っていたと思う。自分と同じように不安定な人で、連絡をたくさん取った時期もあったがその後しばらく話さない時期が続き、その時に私は恋人ができたため、だらだらと異性と連絡を取り合うのはやめようと何人かの連絡先を消した。そのうちの1人がその人だった。もしかしたら急に連絡が取れないということになっていると思う。

着信音ともう一つ思い出したのは、連絡を取り合っていたその頃、私は研究のモチベーションがあり(院試前だったからだと思う)、私は大学教員になるんだ!と熱く語っていたのだが、その人は「貴方が大学教員になるのなら、その大学に通って授業を受けたい」と言ってくれたのだった。今のモチベーションとは無関係に、それがすごく嬉しかったです。

2023年3月31日

夢を見た。夢はいつも見ているが、いつもとはかなり異質であった。というのも、これまで長年抱いてきた悩みも抱いて間もない悩みもすべてを回収・解消していく夢だったのである。目を覚まし、身体的な回復とほんの少しの老化(回復とは違い、老化をまざまざと感じるような何かがあったわけではない。ただ事実としての羅列)以外は何も起こっていないことに絶望し、食事をぼうっととりました。栄養を摂取するためだけの食事と思うほどに無感動でした。

と、こんな感じになると引きこもって1日終わるのが私だと思っていたが、人との約束があるため家を出なければならず、無理やり身体を立て直して身支度をし、素敵な古本屋に寄り道をしながら用事をこなすうちに元気になれました。他人を巻き込んでの予定があるのはやはり大事だわ…

2023年3月22日

バタバタしていて時間が空いた。前回の投稿からから今に至るまでここに綴るべきことはもちろんあった。半年ぶりの再会。ロイヤルホストのパフェ。見た映画。読んだ本。はじめてのバー。春彼岸。覚えたこと、知ったこと。現実を楽しめているとSNSを開かないように、日記も書けないのかもしれない(自分を正当化するための言い訳①)。たとえば、抽象的ではあるものの、自分の中で何かと何かが結びついたときに「綴ろう」と思うのだが、思うことからすることには距離が遠く(自分を正当化するための言い訳②)、結局その結びつきはどこかへいってしまう。

「女の人生ってのはね、母をゆるす、ゆるさないの長い旅なのさ。ある瞬間は、ゆるせる気がする。ある瞬間は、まだまだゆるせない気がする。大人の女たちは、だいたい、そうさ」

「あぁ、なんてこと」

「はは、気にするな。旅は長い。これから君、いろんなものを得て、失い、大人になって、そうしていつか娘を産んだら、こんどは自分が、女としてのすべてを裁かれる番だ。はは、だから、気にするな。……ほら」

桜庭一樹少女七竈と七人の可愛そうな大人』角川文庫 H21.3)

これを読んで、ふと娘である主人公が、かつては母も自分と同じように少女だったのだ、子(自分)が生まれたことで彼女は少女ではなくなった、不自由の身になった(曖昧)みたいなことを言っている作品ってなんだっけ…となり眠れず、『かか』を手に取ったらそれに近いものがあったので寝ることにします。

かかとととを結ばせたのはうーちゃんなのだと唐突に思いました。うまれるということは、ひとりの血に濡れた女の股からうまれおちるということは、ひとりの処女を傷つけるということなのでした。かかを後戻りできんくさしたのは、ととでも、いるかどうかも知らんととより前の男たちでもなくて、ほんとうは自分なのだ。かかをおかしくしたのは、そのいっとうはじめにうまれた娘であるうーちゃんだったのです。

(中略)

おまいはなんでうーちゃんが、こうまでかかに執着するんかわからんでしょう。うーちゃんはかかをにくんでます。学校にも行かんくなって浪人したんをかかのせいにした、実際かかのせいでもあったし、責めて怒鳴ったこともありました、勉強さしてくんないし、なにやってもあまったれてわめくし、学校の先生にも「母親のせいでなやんでいる」と言いました。SNSでもそうかきました。きっと誰も彼も、うーちゃんはかかを嫌っていると思ってるでしょう、そいでもほんとはかかを誰より愛しているのはうーちゃんだということをおまいには知ってもらいたいんです。かかをいちばんにくんでるのもうーちゃんですが、母親というものについてまわるあかぼうより、夕子ちゃんを亡くした不幸に浸る明子なんかよりずっとかかを愛していました。かかがずっときれいであってほしかった。それはもちろん恋でも欲でもなくて、ほんとうに、うーちゃんはかかだけを愛していました。かかのえんじょおさん、とかかはうーちゃんの髪をすいてよく言っていたけんど、うーちゃんだってほんとは、できることなら、かかを祝福するジブリールのような存在でありたかったんよ。かか、かか、だいすきなかか、そいでも今のかかは穢れきってうざったくて泣くのがわざとらしくて自分のことしか考えてなくてころしたいほどにくいと思うことがある。もう手遅れなんです、うーちゃんはいつかかかを殺してしまう、物理的には殺さんよ、そんなことはしないしできないけんど、そいでもひとりにして、どっか遠くのわびしい町に収容してしまう。だんだん誰にも散歩に連れていかれなくなったホロみたいに、飽きて病院に見舞いにもいかなくなって、淋しいと泣かれるとどんだけ仕事がいそがしいかたいへんかおまいにはわからんときっと怒鳴ってしまう。かかが淋しいとうーちゃんも淋しいかんどんどん足は遠のいていらいらしてにくんでにくんで、何年か経ったあるとき唐突にかかが死んだというしらせがとどく、あわてて電車にのってのりついで、死んだのはうーちゃんじゃないんに走馬灯のようなものを見る。たぶんかかが死ぬのは気いくるいそうなぐらいにおだやかな春の日な気がします、流れる景色をぼおッと眺めてるとまだ明子がいなかった春の記憶がたち現れるんです。そいは桜の木の下で花粉症で鼻をずうずういわしながらあったかい黄いろい日の光にあたってみんなでかかのお弁当食べている記憶です。子どもでも食べられるようラップでひとつひとつくるんでつくった一口大の「ころころおにぎり」をおまいがかんしゃく起こして投げ出すと、ととは春のぬくい泥水にまみれたそいをまとめて拾い上げ、涎で濡れた唇に無理やりおしつけて、たべろ、と怒鳴ります。やめてよと言いながら庇うかかを突っ飛ばし、まだちっこいおまいにも、かかを真似て止めに入ったうーちゃんにも泥と米粒でよごれた手で殴りかかる。ととに暴言を吐かれながら泥に沈みこみ、濡れた髪が頬にぺったしはっつしてて、殴られてんのに、そいがどうしてもしあわせな記憶としてしか思い出せんくて、今までのすべてを後悔しながら電車を降りる。たどり着いた先の消毒液くさい病院のなかでからだひきずって、なんもないがらんとした白い病室に横たわるひとりぼっちで死んだかかの顔を見る、かかは泣いている、鼻に管まきつっけて、泣いたまんま、死んでいる。うーちゃんはかかを淋しさで殺してしまう。

それに気いついたとき、うーちゃんははじめてにんしんしたいと思ったんです。しかしそこらにいるあかぼうなんか死んでもいらない、かかを、産んでやりたい、産んでイチから育ててやりたい。そいしたらきっと助けてやれたのです、そいすれば間違いでうーちゃんなんか産んじまわないようにしつっこく言いつけて、あかぼうみたいにきれいなまんま、守りぬいてあげられたんです。女と母親とあかぼうをにくみ絶対かかになんかならんと思っていたけんど、もう信じられるんはそいだけでした。

うーちゃんはもう宗教もオカルトも信じられんのよ。男と女がセックスしてなぜかいのちが生まれる。そいのことのほうがよっぽどオカルトに思えてしょおないんよ。

性的なことをにくむ心持ちなんていうものは思春期にはありふれた感情なんでしょうが、うーちゃんはいつまでもそいにばっかし固執してました、納得できんかった。あかぼうが母と出会うためには、なんでそいを介さないといけないんでしょうか。うーちゃんはどうして、かかの処女を奪ってしか、かかと出会うことができなかったんでしょうか。

今度こそうーちゃんはかかを壊さずに出会いたかったかん、たったそいだけのために、かかをにんしんしたかった。

(宇佐見りん『かか』河出文庫 2022.4)

 

2023年3月1日

あっという間に3月。歩いて大学へ向かっていたら、高校の卒業式後と思われる人々を何人も見かけた。そして一昨日くらいからとっても調子が良くて、天気と気温の快適さのおかげだと思っている。花粉の影響を受けなければ、春が一番好き。そういえば普段コスメを買う習慣が全くないものの、3月はなぜか欲しくなるのであった。春の何かしらをモチーフとしたものがたくさん出るし、それらはかつて憧れたプリキュア魔法少女まどか☆マギカに登場する少女たちの変身アイテムに似ているからだと思う。ということで、コスメを色々と検索するも、本当はエスティーローダーのピュアカラークリスタルが欲しかったのですが廃盤になってしまったらしいし、ラデュレも閉店しちゃったので、ジルスチュアートのリップアイテムが今のところ最有力候補です。

あとは、手塚美楽『ロマンチック・ラブ・イデオロギー』も買わなければ…!羊文学のフクダヒロアも薦めていて余計に読みたくなったのである。物欲の春、久しぶりに到来の予感です。

 

2023年2月19日

ただいま22時にさしかかるところ。いつもはPCでカタカタしていましたが、今日はスマホで書いています。1年前までは、よくこのくらいの時間や日付が変わってからランニングや散歩をしたりしていたが、一度男の人に声をかけられてから不必要に夜にひとりで出歩くことができなくなった。まあ半年くらいは経っているから、徐々に恐怖はおさまりつつあるが、やはり元の生活を送れるようにはならず、ランニングや散歩は全くと言って良いほどしなくなった。

こういった日記のような何かの記録は、やはり最初は順調だけれど、日に日に書かなく開かなくなるのはもう自分では嫌というほど分かっている。時間がないわけでも、書くことがないわけでも、眠いわけでもないのに続けられない。だが、なぜだかスケジュール帳(日記をつけられるような余白が必ずあるもの)を毎年買うし、毎年空白で終わる。来年の目標が、例えばダイエットの場合は食事や体重の記録、試験がある場合は勉強時間やその出来について、スケジュール帳を使う習慣をつけたい場合は友人との予定や美容院の時刻などを記録していた。だいたい新年に変わる前に途絶えてしまう。まあ、予定を忘れる方ではないのでそこまで必要性を感じていないと言えばそうなのだが。そういえば、一番続いていた頃のスケジュール帳で「蒙古タンメン」をあやまって「啓蒙タンメン」と書いてあって、日記はペンを動かして書く方がいいなと思ったのだった(といいつつ、ブログなどを始めているが)。私は日によって字が変わるという変な癖がある人間なので、中々ペンを握ることに抵抗があるが、徐々にまた書いてみようかと思う。思うだけで終わるかもしれないけれど。

 

2023年2月13日

15分ほど運動をする。汗をかく方(有酸素運動の方)が”運動している感”を味わえる気がするが、やっぱり身体が変わるのは筋トレの方だと思う。

お昼にハンバーガーを食べ、夜に研究室の面々でクラフトビール屋さんとすき家へ行った(ラーメン我慢して偉かった!)。

2023年2月7日

疲れ切っており、たこ焼きが食べたかったのに21時までしかやっておらず、代わりにマックでダブルチーズバーガーセットを食べた。倍パティに慣れていたからか、通常のダブルチーズバーガーを薄く感じるようになってしまっていた。はじめてダブルチーズバーガーを食べたときはパティもチーズも、そして大好きなピクルスも2つなのか!と心躍らせたものだった。

家に帰り、お風呂を沸かす15分間を睡眠に充てるほど眠気が強かったものの、なんとかお風呂と洗濯と歯磨きを済ませた。