2023年3月22日

バタバタしていて時間が空いた。前回の投稿からから今に至るまでここに綴るべきことはもちろんあった。半年ぶりの再会。ロイヤルホストのパフェ。見た映画。読んだ本。はじめてのバー。春彼岸。覚えたこと、知ったこと。現実を楽しめているとSNSを開かないように、日記も書けないのかもしれない(自分を正当化するための言い訳①)。たとえば、抽象的ではあるものの、自分の中で何かと何かが結びついたときに「綴ろう」と思うのだが、思うことからすることには距離が遠く(自分を正当化するための言い訳②)、結局その結びつきはどこかへいってしまう。

「女の人生ってのはね、母をゆるす、ゆるさないの長い旅なのさ。ある瞬間は、ゆるせる気がする。ある瞬間は、まだまだゆるせない気がする。大人の女たちは、だいたい、そうさ」

「あぁ、なんてこと」

「はは、気にするな。旅は長い。これから君、いろんなものを得て、失い、大人になって、そうしていつか娘を産んだら、こんどは自分が、女としてのすべてを裁かれる番だ。はは、だから、気にするな。……ほら」

桜庭一樹少女七竈と七人の可愛そうな大人』角川文庫 H21.3)

これを読んで、ふと娘である主人公が、かつては母も自分と同じように少女だったのだ、子(自分)が生まれたことで彼女は少女ではなくなった、不自由の身になった(曖昧)みたいなことを言っている作品ってなんだっけ…となり眠れず、『かか』を手に取ったらそれに近いものがあったので寝ることにします。

かかとととを結ばせたのはうーちゃんなのだと唐突に思いました。うまれるということは、ひとりの血に濡れた女の股からうまれおちるということは、ひとりの処女を傷つけるということなのでした。かかを後戻りできんくさしたのは、ととでも、いるかどうかも知らんととより前の男たちでもなくて、ほんとうは自分なのだ。かかをおかしくしたのは、そのいっとうはじめにうまれた娘であるうーちゃんだったのです。

(中略)

おまいはなんでうーちゃんが、こうまでかかに執着するんかわからんでしょう。うーちゃんはかかをにくんでます。学校にも行かんくなって浪人したんをかかのせいにした、実際かかのせいでもあったし、責めて怒鳴ったこともありました、勉強さしてくんないし、なにやってもあまったれてわめくし、学校の先生にも「母親のせいでなやんでいる」と言いました。SNSでもそうかきました。きっと誰も彼も、うーちゃんはかかを嫌っていると思ってるでしょう、そいでもほんとはかかを誰より愛しているのはうーちゃんだということをおまいには知ってもらいたいんです。かかをいちばんにくんでるのもうーちゃんですが、母親というものについてまわるあかぼうより、夕子ちゃんを亡くした不幸に浸る明子なんかよりずっとかかを愛していました。かかがずっときれいであってほしかった。それはもちろん恋でも欲でもなくて、ほんとうに、うーちゃんはかかだけを愛していました。かかのえんじょおさん、とかかはうーちゃんの髪をすいてよく言っていたけんど、うーちゃんだってほんとは、できることなら、かかを祝福するジブリールのような存在でありたかったんよ。かか、かか、だいすきなかか、そいでも今のかかは穢れきってうざったくて泣くのがわざとらしくて自分のことしか考えてなくてころしたいほどにくいと思うことがある。もう手遅れなんです、うーちゃんはいつかかかを殺してしまう、物理的には殺さんよ、そんなことはしないしできないけんど、そいでもひとりにして、どっか遠くのわびしい町に収容してしまう。だんだん誰にも散歩に連れていかれなくなったホロみたいに、飽きて病院に見舞いにもいかなくなって、淋しいと泣かれるとどんだけ仕事がいそがしいかたいへんかおまいにはわからんときっと怒鳴ってしまう。かかが淋しいとうーちゃんも淋しいかんどんどん足は遠のいていらいらしてにくんでにくんで、何年か経ったあるとき唐突にかかが死んだというしらせがとどく、あわてて電車にのってのりついで、死んだのはうーちゃんじゃないんに走馬灯のようなものを見る。たぶんかかが死ぬのは気いくるいそうなぐらいにおだやかな春の日な気がします、流れる景色をぼおッと眺めてるとまだ明子がいなかった春の記憶がたち現れるんです。そいは桜の木の下で花粉症で鼻をずうずういわしながらあったかい黄いろい日の光にあたってみんなでかかのお弁当食べている記憶です。子どもでも食べられるようラップでひとつひとつくるんでつくった一口大の「ころころおにぎり」をおまいがかんしゃく起こして投げ出すと、ととは春のぬくい泥水にまみれたそいをまとめて拾い上げ、涎で濡れた唇に無理やりおしつけて、たべろ、と怒鳴ります。やめてよと言いながら庇うかかを突っ飛ばし、まだちっこいおまいにも、かかを真似て止めに入ったうーちゃんにも泥と米粒でよごれた手で殴りかかる。ととに暴言を吐かれながら泥に沈みこみ、濡れた髪が頬にぺったしはっつしてて、殴られてんのに、そいがどうしてもしあわせな記憶としてしか思い出せんくて、今までのすべてを後悔しながら電車を降りる。たどり着いた先の消毒液くさい病院のなかでからだひきずって、なんもないがらんとした白い病室に横たわるひとりぼっちで死んだかかの顔を見る、かかは泣いている、鼻に管まきつっけて、泣いたまんま、死んでいる。うーちゃんはかかを淋しさで殺してしまう。

それに気いついたとき、うーちゃんははじめてにんしんしたいと思ったんです。しかしそこらにいるあかぼうなんか死んでもいらない、かかを、産んでやりたい、産んでイチから育ててやりたい。そいしたらきっと助けてやれたのです、そいすれば間違いでうーちゃんなんか産んじまわないようにしつっこく言いつけて、あかぼうみたいにきれいなまんま、守りぬいてあげられたんです。女と母親とあかぼうをにくみ絶対かかになんかならんと思っていたけんど、もう信じられるんはそいだけでした。

うーちゃんはもう宗教もオカルトも信じられんのよ。男と女がセックスしてなぜかいのちが生まれる。そいのことのほうがよっぽどオカルトに思えてしょおないんよ。

性的なことをにくむ心持ちなんていうものは思春期にはありふれた感情なんでしょうが、うーちゃんはいつまでもそいにばっかし固執してました、納得できんかった。あかぼうが母と出会うためには、なんでそいを介さないといけないんでしょうか。うーちゃんはどうして、かかの処女を奪ってしか、かかと出会うことができなかったんでしょうか。

今度こそうーちゃんはかかを壊さずに出会いたかったかん、たったそいだけのために、かかをにんしんしたかった。

(宇佐見りん『かか』河出文庫 2022.4)